宮司を務める小野貴正と申します。
サーフィンとポンカンの町として知られる高知県安芸郡東洋町に位置する甲浦八幡宮は、今から500年ほど前にはすでにあったとされ、伝え聞いた話によると600年以上前に創建されたと聞きます。
600年前というと室町時代あたりでしょうか。日本全国にある八幡宮や八幡神社はその数1万社以上とされ、平安時代、あるいは鎌倉時代から増えていった、という話も聞いたことがあります。
中国大陸から元が日本に攻めてきた文永の役と弘安の役。2回とも元を退けた際に日本側が祈願した神社は博多の筥崎宮や京都の石清水八幡宮とされ、以来、八幡宮は勝負運のご利益ある神社とされました。鎌倉時代以降に日本全国へ広がっていったことを思えば、甲浦八幡宮の創建が室町時代であることにも納得です。宇佐神宮からお招きしたとされていますので、本流の八幡宮だとも思います。ちなみに宇佐神宮の起源は大漁祈願と聞いたこともあります。甲浦八幡宮のある東洋町甲浦はかつて漁業が盛んで、大阪行きのフェリーが発着する港町でしたから、宇佐神宮からお招きしたことにも頷けます。
およそ80年前に8,000人以上が住まれていた東洋町の人口は、今では2,000人前後。高齢化率は50%を超え、人口の減少に歯止めがかかりません。
僕が東洋町にやってきた3年前、コロナ禍の影響もあり年始の三が日でも参拝者はほとんどいない状態でした。地鎮祭や安産祈願、初宮詣や七五三といったご祈願もほとんどありません。
小さい神社の宮司は食べていくことができない。と言われて久しいですが、甲浦八幡宮も同じ状況でした。
宮司の成り手がいないので、東洋町に30社程度ある神社を、先代宮司である伯父はすべて兼務していました。それでも生活することができないため、議会議員としても活動していました。
僕が宮司を受け継いだとき、町の方々から「議会議員になりなさい」という話をいただきました。お気持ちだけ頂戴し、お断りしました。神社は地域の皆さんにとって憩いの場であってほしい。選挙に立候補することで「あの神社には行きづらい」という状況をつくることは、避けたかったのです。
だから、ご祈願やお守り、御朱印で神社を支えていく必要がある。これが先代までの宮司とは異なる、僕の運営方針でした。
高知県神社庁での1ヶ月に渡る泊まり込みの講習会と、四万十市の一條神社での神務研修を経て、権正階(ごんせいかい)という階位を授かりました。この階位を得て、はじめて宮司に就くことができます。
宮司就任にあたって、先輩宮司からこんなアドバイスをいただきました。
「神社を、毎日開けなさい」
正直、最初はキツいなと思いました。しかし認知症を患った伯父の代から祭祀が滞り、地域の方々にご迷惑をかけていたこともある。神社がちゃんと運営されていることを伝えるためにも、毎日開けることにしました。
すると、こんな感想が届くようになりました。
「お祭り以外の日に、神社が開いているのを初めて見ました」
70代や80代の方がそうおっしゃる。ということは、、、祖父の代から開けていなかったのかもしれません。これは珍しいことではなく、小さな神社の多くがそうです。神社を開けると常駐が必要になり、他の仕事を減らさなければならない。開けてしまうと生活ができなくなる。それが現実でした。
僕が宮司を受け継いだ理由は、先祖孝行でした。ご先祖様のおかげで今の自分があるのだから、受け継いで、続けていこう。だから甲浦八幡宮が、そして東洋町の神社が末長く続いていくようにしたい。そう考えています。
そのためには、御祈願の相談や受付、また御朱印や御守りの窓口となる社務所が必要でした。
ところが、神社の境内に社務所をつくるには相当な費用がかかります。そんなとき、甲浦八幡宮の横にある、町が管理する移住者向けの借家が空きました。借りることはできるが、社務所利用は不可。政教分離の観点からです。しかし、商売利用は大丈夫と言われました。
それで、珈琲屋をはじめることにしました。
珈琲屋ではあるけれど、宮司が珈琲を淹れている。だからご祈願やお守り、御朱印はここで受け付けます、というスタイルです。
こうして、「カンヌシ珈琲と精進カレー」が生まれました。
神社を毎日開けること。珈琲屋を通じて訪れる人を迎えること。社務所のないところから、少しずつ積み上げてきた3年間です。東洋町にお越しの際は、ぜひ甲浦八幡宮にも立ち寄っていただけたら嬉しいです。
甲浦八幡宮 宮司 小野貴正